共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 支援とは?共にとは?―たこの木からの便り2

<<   作成日時 : 2010/07/30 23:00   >>

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前回にひきつづき、たこの木クラブ・岩橋さんからのメールを紹介する。(写真:立っている人物、左が岩崎さん、右が山下)
「しがらみ」という言葉は私も好きです。
それと「なりゆき」という言葉も。

しがらみとなりゆきが交じり合いぶつかり合い、結局は「折り合い」をどう見つけていくのかが常に課題です。

ただ、現実親の意思によって施設入所を余儀なくされる人たちや私たちだけでは抱えきれない当事者たちが社会にいて、常に自分たちの側の至らなさを感じています。

「覚悟」というのは、「良い支援?」を読まれた方たちは皆一様に、支援者の側の「覚悟」と読まれているようですが、自分にどれだけの覚悟があるかと言えば、決してそんな覚悟はないし、甘々の取り組みしかできていないです。

ただ言えるのは、本来この覚悟は当事者の側に求められる「覚悟」だと思います。
すなわち身体当事者の人たちが「覚悟」を持って地域で生きる事を押し進めてきた歴史。

しかし、彼らが「覚悟」を持って取り組んできたものは、私たち自身が負わせてしまっているものであり、彼らが「覚悟」というならばそれは本人が負うべきものではなく、負わせてしまっている私たちが負うものだと言う話で書いたつもりです。

実感としては「覚悟」というよりも「逃げない」というのが近いように思いますね。


そして、岩橋さんが前回の便りで、「これま で出会ってきた人たちとこれからで会う人たちとのつながりを求めていく必要があるように思います。」と書いてきたのに、私が「そうですね。きっとぶつかることが多いと思いますが、衝突を経て新たな関係が紡がれるでしょう。」とコメントしたのに対し、以下のように書く。

本当にぶつかりっぱなしです。
理念ではままならない様々な事柄の中で、とりあえず・とりあえずのことでしかありません。
そして、こちらがとりあえずでつくってきた事や言葉を、何の躊躇もなく使い出す体制側。

「支援」という言葉は、「ともに」という言葉の中には存在していないけれど、「ともに」を実現して行くために、あえて使い事柄を明らかにしようとしてきたのに、いまや「ともに」も「支援」も行政が使うようになり何とも腹立たしい面と、相手に対抗する言葉を見つけなければすぐにでも絡め取られる現実を歯がゆく思っています。

ここまで来るのに多摩では30年がかかっています。
その中でたこの木も23年が経ちました。
しかし、昨今当初の想いを振り返る機会が増えています。
それを裏返せば、歴史が継承されていないと言う事でもあります。
ちょっとした縁があって、近々たこの木通信バックナンバーをPDFにする事になっています。
改めて、様々な人たちと「ともに」をともに考えていきたいと願っています。


 「逃げない」という岩橋さんにくらべ、折あらば「逃げる」ことを考えてしまう私を思う。

 共倒れから逃げたい、「支援」を入れて少しでも逃げよう、ぐちゃぐちゃの関係からさあ逃げるぞ、公的保障ができて逃げられたかなと、右往左往。でもけっきょくは、いやもおうもなく、しがらみにからめとられている自分がある。逃げたい自分だから、なおさら、しがらみを実感する。

 そのしがらみって?ふりかえれば、ただ出合ってしまった、つきあってしまった、だまされた、近所で暮らしている、共通の知り合いが多い、けんかした、一緒に飲んだ…などといった、そんな関係でしかない。ならば、その程度でしかない「共に」が、やっぱり問われているんだなと思う。

 いろいろなことを考えさせてくれる、たこの木クラブ。これからもつきあってゆきたい。









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