共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS しがらみ故に 日本ボランティア学会2010 白金原っぱ大会 に「出演」します。

<<   作成日時 : 2010/06/17 19:26   >>

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日本ボランティア学会2010 白金原っぱ大会 に「出演」します。
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写真は1980年頃。街へ出始めたつぐみ部屋(後述)の人々と、案内人連れ合いの水谷(右端)。

下記のようなプログラムです。

6月26日(土) 13:30〜18:00分科会1 
明治学院大学 2号館 2302教室
障害(しがらみ)を編み直し、地に根を張る
ー共生・共棲するムラの論理へー
山下浩志さん(わらじの会)とわらじの会の人々
猪瀬良一さん(見沼田んぼ福祉農園代表)
山口力男さん(阿蘇百姓村/百姓)

コーディネーター 猪瀬浩平さん(見沼・風の学校/明治学院大学)

6月27日(日) 13:30〜16:00全 体 会
明治学院大学パレットゾーン 白金 アートホール
「原っぱを生み出す:  東京の周縁で希望を紡ぐ」
基調講演 岡本栄一さん(大阪ボランティア協会会長)
指定討論者(予定)
吉田弘一さん(わらじの会)+わらじの会の人々
宇鉄昭子さん(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい)+もやいの人々  ほか                             
コーディネーター 竹尾茂樹さん (明治学院大学国際平和研究所所長)

 詳細は日本ボランティア学会白金原っぱ大会のブログ参照→http://vgakkai10.exblog.jp/

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ブログ案内人である山下は、

障害(しがらみ)を編み直し、地に根を張るー共生・共棲するムラの論理へー

という分科会に出ます。レジメ原稿の一部を以下に載せます。

しがらみを編みなおす―大袋小学校とわらじの会  
                              山下 浩志(わらじの会)
わらじの会ってなんだろう
 
わらじの会は、1978年、「障害をもつ人ももたない人も地域でともに生きよう」という趣旨で結成されました。障害をもたない人々が障害を持つ人々からも、お互いの間でも、分け隔てられ伝え合えなくなっている現状を、障害をもつ人々と一緒に考えて行こうとしてきました。学校、体外受精、街づくり……、そして最近取り組みつつある「職場参加」にいたるまで、いろんな活動をしてきました。その場合、活動の原則は、「いつでも、誰でも」でした。

 障害をもつ人々の生活づくりは、排除されて来た人達が地域に打って出るために必要ですが、同時にそれ自体が地域の他の人々との間を自ら分けてしまうという矛盾をはらんでいます。日常活動に直接かかわる人達にしか通じない言葉で話し、現場にいない人達には所詮わかってもらえないんだと思い込んでしまうことは、すでに自分たちを見えない施設に隔離しているのと同じです。
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写真は、1983年、自立にはばたく家準備会の店・パタパタのオープン風景。当時何も制度がない中、障害者達の市役所前での署名運動の結果、越谷市から助成金が出て専従介護人を雇った。が、そのことによって、「支援」の矛盾もすでに芽生えたのだった。

 「支援」に生活をかける人が増えれば増えるほど、生活をかけない人、直接日常活動にかかわれない人、さらにはこれまで障害をもつ人々と出会ったことのない人達とのかかわりの大事さが、クローズアップされてきました。「支援」にかかわる人は、かかわっていない人に対して、分けられた世界の矛盾をどう生きているかを伝えて行く役割を負うことになります。たがいのすれちがいは、当然のことです。すれちがいながら一緒に生きていること、一緒に生きながらすれちがい、迷い合うことが、この「支援」の時代には、とりわけ必要なのです。

小学校から「都市と農村」・「地域」を考える
 
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写真は1980年頃。小学校の同級生とわらじ夏合宿に参加した小島直子さん(車椅子)。

 「地域」とはなんでしょうか。わが埼玉県上田知事が牛耳る政府の地域主権戦略会議をはじめ、地域がもてはやされていますが、どうもその「地域」は、私たちの生きている「地域」とは似て非なるものなんじゃないかと、前から思っています。「社会資源」とか「福祉計画」とか「マネージメント」とか……、もっぱら操作の対象としてしかとらえられなくなっています。さまざまな人生が出会い、堆積し、発酵しつつ、生き合っている場であるはずなのに……と。
わらじの会が活動する「地域」とは、主として東武伊勢崎線沿線の越谷市と春日部市などの県東部地区です。そのように具体的に限定された「地域」の中で、さらにその核となる「地域」とは、越谷市北端の恩間新田を含む大袋地区と春日部市南端の武里団地を含む大場地区という、両市の境界に位置するエリアです。越谷でももっとも辺縁の地といわれた恩間新田の農家の奥の部屋で暮らしていた障害者たちと、すぐ近くの田んぼをつぶして建設された「東洋一」と呼ばれたマンモス団地の新住民たち(その多くは東北や北関東、新潟などの農村から東京経由で民族移動してきた故郷喪失者たち)との、歴史的な出会いから、物語は始まりました。

 高度成長する日本資本主義、その下で日本中の農村から東京をはじめとする都市への民族大移動が行われました。県東部地区は膨張した首都圏のベッドタウンとして急激な開発にさらされるとともに、農業の機械化による農家の解体・再編が進みました。こうした大波に洗われ、漂いながら、人々はどのように出会い、関係を取り結んできたのか。

 その実像に迫るべく、わらじの会の核である恩間新田などの地区の学校である大袋小学校を舞台とした人間群像について、たくさんのわらじの会関係者に取材しました。
 すると、「障害者」とか、ケアスタッフとか、専従とか、親とか、活動の場での「役割」によってひとくくりになって見えている人々も、ひとりひとり異なる輝きを放って、「地域」という舞台を作っていました。 それらの人と人の間には、「差別する」・「差別される」といった関係が何重にも積み重なっています。しかし、そうした「差別」・「被差別」の関係すら、互いの人生と人生のかかわりを発見し合うこと、言い換えればひとりひとりのかけがえのなさを見いだし合うきっかけにすぎないように、思えて来ます。
 すなわち、かって青い芝の会が「闘争」と書いて「ふれあい」と読ませたような意味合いをはらんだものとして、「地域」を考えたいと思います。 そうした闘争(ふれあい)なしには、真白にしか見えない「地域」でもあるのですが。

就学免除の時代と完全就学の現在 
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写真は、1983年頃、新坂姉妹と姪っ子。

 「ちいさいときは きんじょのこどもたちと あそんでいました。わたしが となりのいえにあそびにいくと おじいさんに『みづれえ みづれえ』っておこらいました。そして しばらくたって がっこうにあがりました。がっこうに あるいて 3ねんいきました。がっこうのせんせいが 『あぶねえから きないっていい』っていった。それでいかなかった。」
 故・生活ホーム・オエヴィスの大家兼住人であった妹・新坂幸子さんとともに、78年のわらじの会創設時からのメンバーでした。
 故新坂姉妹は、低学年のときだけでしたが、地元の小学校に近所の子供達と一緒に通っていたのです。彼女たちの住む恩間新田地区は、いまは千間台小学校の学区ですが、当時は大袋小学校の学区でした。この「大袋小学校」からわらじの会を眺めてみます。
 
 小・中は義務教育ですから本来は「就学の義務」があるのですが、それを特別に「免除」してあげましょうという、今の人からは恩着せがましく聞こえる制度を、親の側もそういうものだと受け入れていた時代でした。昔は差別がきつかったんだと受け取る人もいるでしょうね。
 
しかし、光子さんは肥え桶を運ぶための馬車に乗っかって大袋小学校に通ったこともあったと聞きますし、杉戸の山高旬士さんなどは、乳母車に乗って授業を受けたそうです。それはどう考えたらいいのでしょう。
 
当時を知る人の話によると、「みんなが生活が苦しい時代だったから、教室で弟妹の子守をしている子もいたし、日の丸弁当だって持ってこれず、昼休みになると教室から外へ出ちゃう子も何人かいた。」といいます。野沢さんがマヒのためご飯をこぼすところを見られたくないので、昼に教室の外へ出てしまったという行動だって、たいして目立たなかったわけですよね。

 学校へ行かなくなっても、新坂姉妹は、「前の家(めえのち)」の新坂はま子さんやその妹でまだ元気に歩けたきみ子さんと、けっこう遊んでいたからです。「みづれえから外に出るな」とおじいさんに怒られながらも。
 
いまは就学免除になる子は、めったにありません。そのかわり、新坂姉妹のような状況になると、学校や教委から「養護学校でこの子に合った教育を受けたらどうですか」というお誘いがかかります。お誘いに乗って養護学校に移った子がいました。その子と同じクラスだった子ども達の間では、「どこかに引越して行ったらしい」という話になっていました。実際は、相変わらず同じ家に住んでいたのです。養護学校のスクールバスが停車するところまで車で送迎する毎日になり、親も子も近所の子供たちと顔を合わせることがなくなったので、「引っ越した」と信じられてしまったのです。

つぐみ部屋の文化
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写真は1990年、生活ホームオエヴィスを作って家を出た後も、バザーの品物集めなどに積極的にがんばる故・新坂幸子さん(谷中商店街で)。


 78年、わらじの会に出てきた頃の姉妹も、自分たちほど恥ずかしい状況にある人はいないと信じ、暮らしや思いを語ろうとしませんでした。
 81年にはばたく家準備会ができて、姉妹が「生活」を語り始めたときも、いまの状況に対する恥と怨念が先に立っていました。彼女たちの話を聴く側も、発足当時のはばたく家準備会の活動で当初考えられていた「がんばって、生保を取って、アパート生活」というワンパターンのイメージからすれば、「親兄弟から自立できず、がんじがらめになっている悲惨な在宅生活」としか感じられなかったのです。

 84,5年ごろ、わらじの会の中で、障害のない人々も含めて、そういった「自立」イメージへの疑問が大きくなりました。そうなって初めて、姉妹の受け継いできた文化が見えてきました。常に座っているようになった姉妹は、おばあさんにお針仕事を教わったり、豆の殻むきや綿繰りといった手仕事を縁側でしながら、一日を過ごすようになりました。米を中心とした農業はしだいに変わって行きました。しかし、おばあさんがやっている小さな畑の作物に関わる昔ながらの作業や、おばあさんの昔話や、農家の年中行事にちなんだささやまな「こちそう」など、おばあさんの時代の文化を、姉妹は自然に受け継いだのでした。いわば無形文化財のように。
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写真は1983年頃、新坂家の庭で、橋本画伯のチェーン式車椅子ににリヤカーを付けてくれる新坂姉妹のお父さん。

 彼女たちや父母、祖父母らに教わりながら、みんなで一緒に味噌作りや小屋造りに取り組む中で、姉妹の恩間新田弁が生き生きと響き始めました。
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写真は1985年。おとっつあんたちに教えてもらいながら、おおぜいが寄ってたかって小屋を建てた。

 昔もいまも、家にこもらざるをえなくなった人やその家族は、誰かに言われなくとも、たえず「外に出なくちゃ」とか「親亡き後は?」という不安に苛まれています。その中で、長い時間をかけて、家の中での人生、仕事、哲学、瞑想法などなどを、オリジナルに開発してゆくのです。「こもっているのはいけない」といって、何も知らない人達にその年月を否定されてしまうのは許せないという憤りもあるでしょう。また、部分的にでも外に出始めることで、長年かけて築いてきた精神的境地や家族内の信頼関係、そして体調が崩れることへの恐れもあります。そんな不安、恐れもひっくるめて、「こもり芸術」!「つぐみ文化」!

 「障害者が社会に参加する」というよりも、一人一人の暮らし方、つながり方をぶつかり合わせ、問い直し合って行く上で、家にこもることも重要な体験だと思います。

 あとは、章名だけを紹介します。

介助者たちはどこから来たのか
 (3名の介助者、職員と大袋小学校)

見限りと見直しからの再出発 (TOKOのメンバーになった市職員と大袋小学校)

終わりに

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写真は、1985年頃のわらじの会「くっちゃべる会」で問題提起する平野栄子さん(「地域と障害」の筆者の一人)。テーマは「共に生きられない現在」。はばたく家に専従介護人ができたことによって、日常活動に常時かかわれない人たちのかかわり方が見えなくなった、また店の活動は活発になっても一人一人に暮らしを伝えあう機会が減ったと、平野さんは語る。

 ひとりひとりから見れば、「こんなエピソードがあったよ」というだけのことだったかもしれません。でも、それがこんなふうに積み重なってゆくと、「地域」のかたちが見えて来ます。

 この同じ街で、同じ小学校に通い、長いか短いかはともかく同じ時を生きてきた間柄だからこそ、ひとつひとつの「エピソード」が、深い根っこを地中に張っていたのです。学校から切り捨てられ、家の奥に囲い込まれていたかに見えた障害者たちが、街に出て行ったとき、街が彼らとつきあわざるをえなくなったとき、その「根っこ」が存在を主張し始めたのでした。

 今回、なぜ報告を引き受けたかといえば、今回の原っぱ大会を主管するスタッフの一人であるコッペこと猪瀬浩平さんが、1988年、私たちが障害のある生徒の県立高校入学を求めて県知事応接室に三泊四日した時、その現場から小学校に登校していった子どもだったという、そのしがらみの故としか言いようがありません。

 私たちは、最近「地域と障害―しがらみを編みなおす」という本を、現代書館から出版しました。その本の中で、「地域」とは、単に一定の土地の区画を指すと述べています。こう言うと、この報告で述べてきた人間群像の話と食い違うじゃないかと思われるかもしれません。しかし、昔からか、ある時たまたまかはともかくとして、同じところに居合わせてしまったからこそ、いやおうなしにさまざまな出会いが起きてしまうのです。それらは、意図的、計画的につくられる関係とは決定的にかけ離れたリアルさをもつのです。→http://yellow-room.at.webry.info/201004/article_3.html

 障害者の自立生活とか共生社会といったことについては、それらはめざすべき理念とは考えません。地域の中にすでに編みこまれている依存関係や排除・差別の関係の中に、同時にはらまれているのだと考えます。創りだすのではなく、編みなおすのです。闘争(ふれあい)です。その事例報告と考えていただければいいと思います。

わらじの会略年表については→http://yellow-room.at.webry.info/201004/article_5.html およびhttp://warajinokai.at.infoseek.co.jp/ayumi/nenpyou.html










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分科会1 わらじの会山下浩志さんの原稿の一部
 分科会1「障害(しがらみ)を編み直し、地に根を張る」の発題者の山下浩志さんの発表原稿の一部が、山下さんのブログで公開されています。   http://yellow-room.at.webry.info/201006/article_1.html   ...続きを見る
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