共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS わらじの会略年表―しがらみはいかに編みなおされてきたのか

<<   作成日時 : 2010/04/28 22:57   >>

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わらじの会編「地域と障害―しがらみを編みなおす」(現代書館)を、もう読まれましたか。まだ読んでない方、この本を知らなかった方向けに、わらじの会と地域の歴史を、かんたんな年表にまとめてみました。ちなみに、上の写真は、1982年ごろ、「自立に向かってはばたく家準備会」の障害者たちが、おずおずと始めた越谷市役所玄関前の署名運動のようす。

1978年 「障害のある人もない人も一緒に街で生きよう」と会スタート。

1979年  日立での夏合宿で「なぜ施設なんですか」をテーマに現地団体と討論会。

1980年  県内他グループと共同し、スウェーデン福祉体験旅行。

1981年  会内の重度の在宅障害者たちの自主訓練グループ「自立に向かってはばた
     く家準備会」発足、公民館を活用。スウェーデンの障害者団体RBUを招待。

1983年  越谷市が要望に応じ「自立生活援助要綱」を作り補助。はばたく家の店「パ
       タパタ」オープン(春日部市大場)。 

1984年  「誰でも使える駅を求める会」発足。東武線各駅の公開実地調査へ。


1985年  越谷市・春日部市に対し、介護人派遣制度の要望を提出。
       越谷市立病院での体外受精に対し、「体外受精を考える会」作り、疑問表明。

1986年  県内の自立・共生・反差別をめざす諸グループと連携し、「国際障害者年サ
       イタマ5年目のつどい」を開催。以後、共同の研究会、県との総合交渉等
       を行うための事務局(埼玉社会福祉研究会事務局)を会内に置く。

1987年  障害者雇用促進法の助成制度を活用したリサイクルショップ「吐夢亭」を
        オープン(越谷市東越谷)。障害者2名を店員として雇用。
 糸賀美賀子著「坂田くんにナイスピッチ」日本児童文芸家協会新人賞。

1990年  生活ホーム「オエヴィス」発足(越谷市恩間新田)。ケアシステム「わら細
       工」設立(春日部市大場)。日本青年奉仕協会から一年間ボランティア。

1991年  初代一年間V・矢野陽子著「まいにち生活です」が朝日新聞の書評欄に載る。

1992年  埼玉社会福祉研究会を改組し、社団法人・埼玉障害者自立生活協会を設立。
       同時に、埼玉障害者市民ネットワークが発足し、会内に事務局を置く。

1994年  社会福祉法人「つぐみ共生会」設立。「ノーマライゼーションを求める埼玉県
内巡礼」の一環として、障害者・関係者が巡礼姿で東部地区各市を訪問。

1995年  デイケア・パタパタ開設(春日部市大畑)。通所授産施設「くらしセンター・
       べしみ」、生活ホーム「もんてん」発足(いずれも越谷市恩間新田)。
       橋本克己著「克己絵日記」が読売新聞の「編集手帳」で紹介される。

1997年  越谷市職員組合と埼玉県障害者職業センターの協力を得て、市立病院組合
       事務所で、白倉清美さんが職域開発援助事業にもとづく援助付職場実習。

1998年  「共に働くまちを創るつながり準備のつどい」をひらく(以後毎年)。
   糸賀美賀子著「坂田君にナイスピッチ」中国語で翻訳出版される。

1999年  越谷が知的障害者介護人派遣事業開始。県の委託で東部地域のバリアフリー
・マップ情報を整理。元荒川土手でソウルフラワー・モノノケサミットライブ

2000年  越谷市で「就労・生活援助検討準備会」が発足し、市の各部局と当会の参加
       する「障害者の職場参加を考える会」がメンバーに。

2001年  社団法人埼玉障害者自立生活協会の事務所が会内に移転。

2002年  情報センター「かがし座」開設(春日部市大場)。社福つぐみ共生会が越谷市
   より障害者生活支援センター「苞」を受託(越谷市北部市民会館内)。

2003年  「克己絵日記2」出版。春日部・越谷両市・社協一堂にて支援費意見交換会。

2004年  職場参加を考える会がNPO法人職場参加をすすめる会となり「世一緒」開設。 

2005年  越谷市障害者就労支援センターが発足。NPO法人すすめる会が運営を受託。

2006年  埼玉県議会が「共に学ぶ環境整備を求める意見書」を全員一致で採択。

2007年  社福つぐみ共生会が春日部市より障害者生活支援センター「えん」を受託。

2008年  防災街づくりめさし山田太一・小室等両氏招いて「ゆめ風ライブIN越谷」

2009年  障害のある子も共に育つ幼稚園の草分け・あゆみ幼稚園園長鈴木一義氏講演会


《フラッシュバック》
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わらじの会が発足して3年目の1980年、会のメンバーと川口の八木下さんらで埼玉社会福祉研究会を名乗り、スウェーデンへ訪問した時の写真です。この報告は、現代書館から「ハンディキャップレポート―親と子のスウェーデン福祉体験記」として出版されました。

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スウェーデンへ行った翌1981年、お世話になったRBU(スウェーデン肢体不自由児者協会)の障害当事者、親たちを日本に招き、札幌、埼玉、東京で交流しました。なかでも埼玉は、重点的にあちこちを訪問・交流し、日本の実情を体験してもらいました。写真は、いま埼玉県障害者団体定期刊行物協会を担っている脊髄損傷の仲沢睦美さんが、当時高齢のお母さんと二人暮らししていた川口の家を訪れたようすです。

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スウェーデンの障害者達に刺激を受け、1981年に自立に向かってはばたく家準備会が結成されました。写真は、わらじの会代表・野沢啓祐。はばたく家準備会の一員として、市役所前で署名活動中。けっきょくこの活動に対して、1983年、越谷市は障害者自立生活援助要綱という助成制度を作りました。

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この当事者活動とそこにかかわれない他の人々が、互いのずれを出し合いながら一緒にやってゆく道を探るべく、現在もときどき行われる「くっちゃべる会」が、1984年ごろから行われるようになりました。野沢代表や当時越谷市職員だった佐々木浩さん、耳鼻科医院を開業したばかりの水谷さんの姿が見えます。

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1986年に埼玉社会福祉研究会が事務局となり、県内の諸団体・個人の参加による実行委員会形式で開催した「国際障害者年サイタマ5年目のつどい」。挨拶する八木下浩一代表(右端)。その後のスウェーデンの状況を、現地に在住する藤井恵美さん(陶芸家、右から3人目)、ビヤネール多美子さん(翻訳家、右から2人目)が報告。司会は、「坂田くんにナイスピッチ」で日本児童文芸家協会新人賞を獲得した故・糸賀美賀子さん(右から4人目)と高橋儀平さん(現・東洋大学教授、その左)が務めました。ヒューマンケア協会を設立したばかりの中西正司さんも会場に見えて、質問されていました。この全県的活動が、後に社団法人・埼玉障害者自立生活協会と埼玉障害者市民ネットワークに発展してゆきます。

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1988年、吉川高校正門前に、わらじの会のリフト車が紅白の幕を垂らして陣取りました。草加市の本間さん、熊谷さんの二人の知的障害の生徒が、定員内不合格にされことに対し、「自主入学式」を行ったときの風景。この二人は、その後正式に入学しましたが、彼らに続き、わらじの会のさまざまな障害のある生徒達が同校に入学し、卒業することになります。

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この1988年に、わらじの会は、共に生きる街づくり10周年記念式典を、越谷市役所の会議室を借りて行いました。そして、農家の奥の部屋で長年故・新坂光子・幸子姉妹(左の二人)と共に暮らし、さまざまな知恵と介助ノウハウを編み出してきたおばあちゃん・新坂与子さん(前に座っている)らを表彰したのでした。

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1990年、故・新坂光子・幸子姉妹の分家という形で生活ホーム・オエヴィスができ、そこに住む障害者達の介助探しをきっかけにケアシステムわら細工がつくられました。大きな一歩を、全国の取り組みとつきあわせて研究しあおうと、横浜のふれあい生活の家や、東京の公的介護保障要求者組合、大阪の中部障害者解放センターを招いて行われた自立生活フォーラム。こうしたつながりが、その後JIL結成の動きに関わる契機ともなってゆきます。

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越谷市立病院の体外受精への疑問を機に、1985年から「こころ・からだ・いのちを考えるみちくさ塾」を開き、さまざまな分野から講師に来ていただいて、勉強会を開きました。写真は、1992年の第2次みちくさ塾。左端の講師は堀越栄子さん(現・日本女子大学教授)。

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この時点まで、店、住まい、介助については、それなりに公的な制度が利用可能になってきましたが、その推進母体となった「自立に向かってはばたく家準備会」自体の活動の支援制度としては、1983年に越谷市がつくった障害者自立生活援助要綱があるだけでした。これまでの取り組みを、地域にもっと広げてゆこうと話し合い、既存の施策を拡大運用できないかどうか、いろいろ検討していました。その間にも状況は煮詰まり、新坂きみ子さんの親は娘を施設に入れるか、心中かという袋小路に追い込まれていました。そんな中、きみ子さんへの生前贈与代わりに土地を提供し、社会福祉法人を設立し、1階に通所授産施設、2階に二つ目の生活ホームを作る動きが始動しました。その動きに触発されるように、今度は春日部市が地域デイケア施設を許可するという方針が示されました。1995年、こうして5月にはデイケア・パタパタ、10月にはくらしセンター・べしみと生活ホーム・もんてんが、一挙にできたのでした。写真は、パタパタの開所でテープカットをする野島久美子さん(現・埼玉障害者市民ネットワーク代表)。

→写真で見る共に学び・暮らしあう埼玉年表 http://yellow-room.at.webry.info/201005/article_3.html

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しがらみ故に 日本ボランティア学会2010 白金原っぱ大会 に「出演」します。
日本ボランティア学会2010 白金原っぱ大会 に「出演」します。 写真は1980年頃。街へ出始めたつぐみ部屋(後述)の人々と、案内人連れ合いの水谷(右端)。 ...続きを見る
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2010/08/03 23:06

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